園長の珍しくまじめな話

20年 その③ 「寄付への想い」

寄付について、園長の個人的な想いを簡単に

当たり前のことですが、人の命には限りがあり、もちろん私も例外ではありません。

私の場合「残り30年くらいの時間しか残っていない」と言っても、そんなに悲観的な考え方ではない年齢になりました。

男子校高校生のころ「いかに女の子にモテるか」が頭の中のほぼ全てだった私(笑)。

今はわが子の子育ても終わり、自分が人生に求める夢や価値観もさすがに高校生の時とは違ってきました。

今の私の夢は、自分の人生が終わろうとするベッドの上で
「俺って、愛の人だったな。そのことを誇りに思えるな」
と感じることです。

貯金通帳残高がたとえゼロひとつ多くても、自分の生き方に自分が後悔してしまう生き方、終わり方はしたくないな、と思うんです。

自分に与えられていた時間に対して、自分が納得したいじゃないですか。

結局のところ、我々は宇宙という気の遠くなるような時間における一瞬の存在でしかなく、ほどなく灰になって壺に入るわけです。
ならば、どうせなら自分に納得した生き方をしたい、どうせなら自分の愛に誇りを持ちたい、そう思って目を閉じたいと思っています。

…壮大な感じですねw 高校生の時とはやはりだいぶ違います(笑)

我々は愛の人です。

例えばお母さん。

朝起きて、いや、夜中からわが子が布団をはいでないかなどを気にして眠り、まだ寝たいのに起きて家族のために頑張ります。

仕事でもきっと他に人の迷惑にならないようにとか、できるだけ効率よくとか、

場合によっては体調の悪そうな人を心配したり、あるいは自分が体調悪くても、家族のため職場のために頑張ったりします。

そして頭の中で夕飯のことや買うべきものも考えて保育園にお迎えに行き、そこからバタバタと。。。

ずっと「みんなにとって、家族にとって良かれと思うこと」を考える愛の人なのです。

忙しさで子どもとゆっくり話せてないなという感覚も、
時として自分の人生の選択が全て上手くいっていないように感じる瞬間も、
その自己嫌悪も、
そのイライラも、

全部頑張っているからであり、その根っこは「愛」だと思いませんか。

そう、みんな愛の人なのです。

自分の根本には愛があることを、どんどん肯定的に捉えていきましょう。

そのみなさんの愛の詰まった保育料を、愛の人であろうとする私の愛で、難病児やそのご家族にお届けします。
きっとそこには愛の笑顔が咲くことでしょう。