発達障害なるものについて

シリーズ「発達障害なるものについて」 まえがき後編

 

【つづき  前編では「発達障害が如何に認知されていなかったか」について】

 

 

さて

 

時は移り、2023年

 

先日ある地域の首長と話をする機会があり、聞いた話

 

 

 

「小学校に、新たに増築して特別支援クラスを増やすんだよね

 

昔は『特別支援クラスに進学』とかって、多くの保護者は抵抗あったじゃない?

 

でも今は逆でね、

 

特別支援クラスに入れてくださいって保護者からの要望が多いのよ

 

すごく時代が変わったよね」

 

 

 

 

 

 

私が子どもの頃、遠く離れた発達上の障害の世界は

 

 

 

 

最近では、ドラマの主人公のイケメンが発達障害役だったりもする世界に

 

街を歩けば放課後等デイサービスや児童発達支援事業所が「また出来てる」と感じる表の世界に変わっている

 

才能のあるプロの方が発達障害をカミングアウトしたり

 

芸能人がカミングアウトしたり

 

だから、特別支援クラスにも抵抗が少なくなっている世界にもなっているのだ

 

 

 

 

 

 

さて、ここからが私の言いたいこと

 

 

 

 

にもかかわらず

 

 

 

 

やはり、その発達上の特性に対して「理解が足りていないな」と感じることは多い

 

 

例えば脳性麻痺で車椅子の子に「足があるんだから自分で歩きなさい」という大人はいないだろう

 

 

でも、ADHDでどうしても長時間座っていられない子には

「座りなさい!どうしてみんなと同じように座れないの?今なんの時間か考えなさい」

なんて厳しく言ったりする

 

 

 

同じ脳の機能障害なのに

 

 

 

 

 

もちろん一見してわかるものではないので、それはそれで仕方ない

 

でも、だからこそ

「もう少し、理解が広まればなぁ」と思う

 

 

摂食障害の子に

「わがまま言わないで食べなさい」と無理やり口を開けさせられて食べる子どもが、自分だったらどうだろう

 

 

ついつい離席してしまう子わが子が、

頭ごなしに厳しく叱られていたらどうだろう

 

 

 

昔、スポーツの練習中に水を飲んだらいけない時代があって、それが間違った指導であることは今や当たり前になっている

 

でもわかってほしい

「当時の大人は、それが正しい指導法と信じていたのだ」

 

 

そして当時、私はまさに少年野球でこの体験をしているのだが

 

「トイレに行くっていいながらこっそり水を飲んだいる自分は、ダメで弱い人間なのだ」

 

と思わないといけなかった

 

 

 

 

 

摂食障害の子に無理やり食べさせることも、過去の因習になる時代が来ますように

 

 

 

感覚鈍麻でついつい動いてしまう子に、

大人の力で威圧的に座らせることが、結果的に成長の遠回りになってしまうことが認知される時代が来ますように