発達障害なるものについて

シリーズ「発達障害なるものについて」まえがき前編

 

 

1970年代

 

私が子どもの頃「障害」という世界は、私から遠く離れた見えない世界にあった

 

よくわからない、暗くて悲しい世界であり、触れてはいけないような世界に感じていた

 

 

 

1988年

 

映画「レインマン」が公開される

 

 

 

 

当時旬だったトム・クルーズと(いや、今でも旬だ、すごいな)ダスティン・ホフマンが共演

 

ダスティン・ホフマンが「自閉症」なる障害者の役を演じる

 

 

兄役がダスティン・ホフマン。弟役がトム・クルーズ

確か、映画の中で「自閉症?」と周囲が聞いたこともなくて、だからトム・クルーズが説明していく、というシーンがあったように思う

 

つまり、多くの人が理解していない奇妙な障害で、だからこそ説明するシーンがないと映画として不自然だ、というわけだ

 

 

 

 

2000年

 

私は保育園を開園する

 

しかしこのころもまだ「自閉症」というものは理解されていない(私も全く理解できていない)

 

 

「自分が閉じこもる」という漢字からくるイメージと、実際には様々なケースがあることからくる混乱もあったかもしれないが、

どちらにせよ、インクルージョンだダイバーシティだLGBTQ+だ、多様性を認めよう、という風潮はない。全くない

「個性を大切に」なんて偏差値教育の反動で言う人がいたが、現実的には昭和の根性論が幅を利かせていた

「泣きなさんな!男の子でしょ!」なんて普通に言っていた時代だ

 

 

 

「発達障害」という言葉に出会ったのもその頃だろう

 

「お母さんのしつけの問題ではなく(「お母さん」と限定されていることにも時代を感じる)、その子の障害である。だから世間はもっとその障害を理解していこう」という風潮を薄っすら感じた

 

 

でも「薄っすら止まり」だった

 

 

園児さんにも明らかに発達障害だなと思われるお子さんがいたが、それ以上の知識が我々にない

今のように検索もできないし、系統立ててわかりやすく説明してくれる本も見当たらない

 

だから、我々保育現場の職員にできることは

 

「専門家である療育施設に相談に行かれてはどうでしょうか」

 

を、決死の覚悟で、可能な限りやわらかい表現で伝える努力だけだった

 

 

しかも保護者の方のほとんどが

 

「そうですよね、やっぱりうちの子、ちょっとそういう傾向ありますよね」

 

とはおっしゃらない

 

とても立腹され、罵倒され結果退園されていくケースだってあった

 

もちろんわが子を他人から「発達障害では?」と言われて「そうですか」と受容するなんて至難の業であることは実によくわかる

 

 

私がここで言いたいのは

「そのくらい、世間の認知は低かった。情報もなかった」

 

ということだ

 

 

つづく